昭和52年6月12日 特別奉修委員
                              入力者 大坪寿子

あたくしどもが信心させてもらうと、だんだん、心に安心のおかげとまではいかんけれども、安らぎ、まー安全感といったような気持ちで、えーおかげを頂いておるのが、安心と間違えておる場合があるですね。(??)あたくし、御神前で、あのー、紫の濃ゆーい菖蒲をいっぱい頂くんです。だから紫といやー、こりゃ安心です。けれどもそれはあのー、実らない安心。ね。だから本当の安心には絶対おかげは伴うです。だから結局あたくしたちが頂いている安心ちゅーのは、本当の安心じゃないという、と、まー、あのー、いうところに立って、いよいよあの、安心のおかげを頂くためには、いわゆる今朝のご理解(??)ところを本気でいただかんならんということになるわけですね。
今ね、秋山さんがあのー、お届け、今、自動車の学校にいっとります。そんで先生が大変親切だそうですから、だんだん覚えていってはいったけど、(???むこうに入ったら)やっぱ、自分もほんとに、すこしはできるごとなったけれども、まー難しさに、まーぶつかっておられるわけですね。もうそれから、やっぱむつかしかけんで、やっぱ覚えんわけたい。そんで、きのうくうっーとしっとたげな。そしたら先生が、「秋山さん、あなたんとは目に見えるごと上達しよんなはらんばってん、目に見えないぐらいなは上達しよんなさるよ」といわしゃったそうです。お互いの信心もそげなふうじゃなかろうかのーやー。もう目に見えては上達はしよらん。目に見えんぐらいな上達。(笑い)しかし目に見えない上達ということは、ですね、結局本気で稽古をしよらんということになるんじゃないですかね。それこそ、目に、目をみはるような、あの例えばあんなら、あー、まー末永先生が(??例にで、なりますけれども)ホントにあのー、南米の地に家内子供をつれていけれるその度胸もさることながらね、おかげになると確信しとる。それが安心になる。その安心が、なら、竹内先生の、ね、お手紙の中にでも、その返事を出しておりますように、うーん、20人、あくる日は30人、あくる日は40人、50人、60人という、そのおかげになっていっておる。しかもその一人一人が、容易ならん、いわばその願い事がある、その都度成就していく。いわゆるおかげ頂く。だからあたくしどもが頂いておる安心というものを、ひとつあたくしのご理解で、もういっぺん、確かめてみてね、だから今度はあんなら、あのー、こんな安心ではつまらん。あやめの花のような(??まんさき)だということになればですよね、いっぺんその安心はかなぐり捨ててね、ほんっきで心配しなけりゃいけないということです。だから今度はその心配する心で、信心せよとおっしゃるから、こっから生き生きとした信心がでけてくるです。自分がいただいとるとが安心のように思うとるもんだから、信心の方もやー、おかげ、どうとかなるぐらい思うとるわけたい。それならほんな安心じゃない証拠には、おかげが伴いよらんでしょうが。末永先生のとこにはもうその、安心の、その心にいわゆる、おかげがどんどん伴うていきよるでしょうが。ね。だから安心には、絶対、おかげが伴うものだということ。おかげが伴わないならば、これは自分が信心で頂いておる、ホントの安心じゃないぞと思うたら、この安心は、いっぺんかなぐり捨ててね、そしてひとつ、ほんーきで、たとえばね、信心がないなら心配せんようなことでも心配なってくる。信心させてもらうと。ね。だからその心配の心が、神様にいよいよ、強い力で打ち向かうことになるです。ね。心配する心で信心をせよと言われる。だから、あ、お互いがね、安心と、その安心、まー安心じゃないものとを取り違えて安心のごと思うとるとですね。信心の方が進まんです。だからいっぺんやっぱ心配してみるがいいです。ほんーきで心配、夜もねむれんぐらい心配してみるがいい。そしてその夜も眠れんような心配を神様にまつっていく。いうなら1ぺん参れば2へん参るというようにですね、信心のほうへまた一段と、信心がでけたらです、今度は目に見えて信心が進んでいくことがわかるです。ねそれこそ、秋山さんじゃないけれど、「あなたんとは目に見えんごたる上達」っちいうて。目に見えんごた上達じゃいかんって。ね。いよいよ試験の時には、それじゃー心もとない。それこそ、自分の目に見えるような、ね、はっきり自分でも感じれれるような、信心の進展を願うために、まず、今頂いておる安心は、ホントの安心じゃーない。これは、として、ひとつ本気で心配を、まーいっぺんし直してみてね、その心配する心で、神様に打ち向かう心を作っていきたいと思いますね。どうぞ。